東淀川教会20180909礼拝 詩編16:5-9 マルコ4:22-25節 宣教「量る秤」

Pocket

このエントリーをはてなブックマークに追加

旧約聖書 Psalms 詩編16篇
16-5 Jehovah is the portion of mine inheritance and of my cup: Thou maintainest my lot.
16-6 The lines are fallen unto me in pleasant places; Yea, I have a goodly heritage.
16-7 I will bless Jehovah, who hath given me counsel; Yea, my heart instructeth me in the night seasons.
16-8 I have set Jehovah always before me: Because he is at my right hand, I shall not be moved.
16-9 Therefore my heart is glad, and my glory rejoiceth; My flesh also shall dwell in safety.

主はわたしの嗣業、またわたしの杯にうくべきもの。あなたはわたしの分け前を守られる。
測りなわは、わたしのために好ましい所に落ちた。まことにわたしは良い嗣業を得た。
わたしにさとしをさずけられる主をほめまつる。夜はまた、わたしの心がわたしを教える。
わたしは常に主をわたしの前に置く。主がわたしの右にいますゆえ、わたしは動かされることはない。
このゆえに、わたしの心は楽しみ、わたしの魂は喜ぶ。わたしの身もまた安らかである。

新約聖書 Mark マルコ福音書 4章22-25節
4-22 For there is nothing hid, save that it should be manifested; neither was anything made secret, but that it should come to light.
4-23 If any man hath ears to hear, let him hear.
4-24 And he said unto them, Take heed what ye hear: with what measure ye mete it shall be measured unto you; and more shall be given unto you.
4-25 For he that hath, to him shall be given: and he that hath not, from him shall be taken away even that which he hath.

なんでも、隠されているもので、現れないものはなく、秘密にされているもので、明るみに出ないものはない。
聞く耳のある者は聞くがよい」。
また彼らに言われた、「聞くことがらに注意しなさい。あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられ、その上になお増し加えられるであろう。
だれでも、持っている人は更に与えられ、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう」。

宣教題「はかり縄を持て」 要旨
マルコ福音書でイエスの言われる「自分の量る秤で量り与えられ…」の、秤は何を意味するのだろうか。マタイやルカにおいては「ひとを裁いてはならない。人を裁くそのはかりで量り返される」という、量ることはあまりよろしくない、というニュアンスでこの箇所が解釈されることが多い。
神殿政治化したユダヤ教では、律法指導者の判断基準である「はかり」に従うことが大切で、自分自身ではかりを持つことは奨励されてはいない。マタイ福音書やルカ福音書では、派(セクト)成立にウエイトが置かれているため、はかりは指導者が持つべきであり、従うべき信者の倫理性を求める方向に流れがちである。
神ととっくみあい、「主はわたしのもの、わたしは主のもの」というイスラエルの神との関係から理解すると、わたしの「はかり縄」は持つべき、との感覚が本来であったと思われる。
「主はわたしの嗣業、またわたしの杯にうくべきもの。あなたはわたしの分け前を守られる。測りなわは、わたしのために好ましい所に落ちた。まことにわたしは良い嗣業を得た。わたしにさとしをさずけられる主をほめまつる。夜はまた、わたしの心がわたしを教える。」とは、主なる神と共有するはかり縄を至上の宝とする、という意味であろう。
すると、あかりは高いところ、燭台の上に置くべきであり、主から手に入れた「はかり縄」で、人や世が隠し秘密にしているものもすべて明るみに出る、というイエスのメッセージに繋がる。
聖書を通してこの時代、世についての「はかり縄」、神からいただいた「さとし」を求め続けたい。

○先週の出来事
台風の後の大地震に見舞われた北海道。北海道の鉄道網自体が、「赤字」「採算が取れない」を理由に廃止に動いている。この災害で、ますます廃止路線が増えることが懸念されている。
都市部の鉄道収益は、地方の赤字路線に回されるべきではないか。それが「国民の全ての足を守る鉄道」の本来の目的。そのためにも、もう一度、全部が「国鉄」に戻されるべきだと思われる。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です