東淀川教会20180916礼拝 イザヤ59:1-2 ルカ6:20-22 宣教「もはや革命」

Pocket

このエントリーをはてなブックマークに追加

旧約聖書 Isaiah イザヤ書
59-1 見よ、主の手が短くて、救い得ないのではない。その耳が鈍くて聞き得ないのでもない。
59-2 ただ、あなたがたの不義があなたがたと、あなたがたの神との間を隔てたのだ。
またあなたがたの罪が主の顔をおおったために、お聞きにならないのだ。
61-1
主なる神の霊がわたしに臨んだ。これは主がわたしに油を注いで、貧しい者に福音を宣べ伝えることをゆだね、
わたしをつかわして心のいためる者をいやし、捕われ人に放免を告げ、縛られている者に解放を告げ、
61-2 主の恵みの年とわれわれの神の報復の日とを告げさせ、また、すべての悲しむ者を慰め、
61-3シオンの中の悲しむ者に喜びを与え、灰にかえて冠を与え、悲しみにかえて喜びの油を与え、憂いの心にかえて、
さんびの衣を与えさせるためである。
こうして、彼らは義のかしの木ととなえられ、主がその栄光をあらわすために植えられた者ととなえられる。

新約聖書 ruke ルカによる福音書
6-20 And he lifted up his eyes on his disciples, and said, Blessed are ye poor: for yours is the kingdom of God.
6-21 Blessed are ye that hunger now: for ye shall be filled. Blessed are ye that weep now: for ye shall laugh.
6-22 Blessed are ye, when men shall hate you, and when they shall separate you from their company, and reproach you, and cast out your name as evil, for the Son of man’s sake.
6-23 Rejoice in that day, and leap for joy: for behold, your reward is great in heaven; for in the same manner did their fathers unto the prophets.

そのとき、イエスは目をあげ、弟子たちを見て言われた、「あなたがた貧しい人たちは、さいわいだ。
神の国はあなたがたのものである。
あなたがたいま飢えている人たちは、さいわいだ。飽き足りるようになるからである。
あなたがたいま泣いている人たちは、さいわいだ。笑うようになるからである。
人々があなたがたを憎むとき、また人の子のためにあなたがたを排斥し、ののしり、
汚名を着せるときは、あなたがたはさいわいだ。
その日には喜びおどれ。見よ、天においてあなたがたの受ける報いは大きいのだから。
彼らの祖先も、預言者たちに対して同じことをしたのである。

宣教題「これはもはや革命」
貧富の格差は、勤勉や才能や努力の格差に依るものではないのは誰にでもわかること。
地位や社会的な力ある者はより富み、それらがなく、貧しい者は貧しいまま更に奪われ、格差は広がっていく。
富める者は社会的な正義を求めることはなく、貧しい者は衣食住と、社会的な正義に飢え渇く。
これは現代社会、地球レベルでみても、軍事力の大きな、経済的にも富める国の富める、世界の25%の人々と、
軍事力も経済力も持てない貧しい国の、世界の75%の貧しい人々との大きな格差、
いわゆる「世界の南北問題」は厳然たる事実である。
この国、先進国側の日本では餓死や難民問題などは目立たず世界の現実はわかりにくくなっていますが、
それでも「貧しい人」=「社会的な弱者」はとても生きにくい、厳しい現実を耐えなければならないのは変わりません。
行政機関や企業の「障害者の雇用義務」を行政各省が率先して誤魔化していたことは、
「福祉」という表看板を隠れ蓑にして、
国力にならない人たちを「生かさず殺さず」目立たぬ所に押しやる政策の表れでしょう。
ナザレのイエスが語られた「貧しい者は幸い」とのメッセージは、イザヤ書のメッセージとともに、
貧しい人々の助けを求める祈り、社会的な公正、人間的な「義」を求める祈りが神さまを動かす、
神さまとともに働く人々が広がっていく、というメッセージ、福音なのだと思います。
国や社会行政に依存するのではなく、互いが互いをかけがえのない隣人として、
ともに神さまから生かされる道を求めるようになる、
そんな「主に賜る平和」のビジョンを描きたいと願います。

○先週の出来事
太平洋や大西洋で大型台風の同時、連続発生が続いている。
気象の変動をすべて地球温暖化で説明しようとするのは無理がある。すべからく「天気」なのだから、
「天」の「気」をどう読み取るかが重要なのだろう。ともかくも、天は怒っている、そんな気はする。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です