東淀川教会20181209礼拝 詩編109:1-10 マルコ5:11-20 司式 牧仕 金田恆孝

Pocket

このエントリーをはてなブックマークに追加

旧約聖書 Psalms 詩編109篇1-10節
 私の賛美する神よ。黙っていないでください。彼らは邪悪な口と、
欺きの口を、私に向けて開き、偽りの舌をもって、私に語ったからです。
彼らはまた、憎しみのことばで私を取り囲み、ゆえもなく私と戦いました。
彼らは、私の愛への報いとして私をなじります。私は祈るばかりです。 彼らは、善にかえて悪を、私の愛にかえて憎しみを、私に報いました。どうか、悪者を
彼に遣わしてください。なじる者が彼の右に立つようにしてください。
彼がさばかれるとき、彼は罪ある者とされ、その祈りが罪となりますように。
彼の日はわずかとなり、彼の仕事は他人が取り、その子らはみなしごとなり、
彼の妻はやもめとなりますように。彼の子らは、さまよい歩いて、物ごいを
しますように。その荒れ果てた家から離れて、物ごいをしますように。

新約聖書 Markマルコ福音書5:11-20節
さて、そこの山の中腹に、豚の大群が飼ってあった。霊はイエスに願って
言った、「わたしどもを、豚にはいらせてください。その中へ送ってください」。
イエスがお許しになったので、けがれた霊どもは出て行って、豚の中へ
はいり込んだ。すると、その群れは二千匹ばかりであったが、がけから海へ
なだれを打って駆け下り、海の中でおぼれ死んでしまった。豚を飼う者たちが
逃げ出して、町や村にふれまわったので、人々は何事が起ったのかと見にきた。

そして、イエスのところにきて、悪霊につかれた人が着物を着て、正気になってすわっており、それがレギオンを宿していた者であるのを見て、恐れた。また、それを見た人たちは、悪霊につかれた人の身に起った事と豚のこととを、彼らに話して聞かせた。そこで、人々はイエスに、この地方から出て行って
いただきたいと、頼みはじめた。


 イエスが舟に乗ろうとされると、悪霊につかれていた人がお供をしたいと願い出た。しかし、イエスはお許しにならないで、彼に言われた、「あなたの家族のもとに帰って、主がどんなに大きなことをしてくださったか、またどんなにあわれんでくださったか、それを知らせなさい」。そこで、彼は立ち去り、そして自分にイエスがしてくださったことを、ことごとくデカポリスの地方に言いひろめ出したので、人々はみな驚き怪しんだ。

宣教主題「この苦汁を与えし者らに飲ませ給え」(要旨)
詩編109篇は、押し込められ踏みつけられた地の底からの呻きの言葉。怒りと 悲しみを決して隠そうとはしない。とても正直な、飾ることのできない祈り。
暴れるため、鎖でつながれたレギオン(みんながおまえに困らされている!という、みんな、大勢、という顔なしの、被害者たちから名を奪われた者)の、尽きぬマグマの怒りは、彼自身をも焼き続ける。

 自分自身を焼き尽くしていく、蝕んでいく、内側の、煉獄の炎、まさに「内側の悪霊」である。
 その悪霊たちに、イエスは豚の中に入るよう命じられた。正体を見破られた悪霊たちは豚に乗り移るより他はなかった。 内側の怒りにその身を焦がすことのできない豚たちは湖の中へ飛び込むしかなかった。

 憑きものの正体を見破り、憑きものにその正体を告げ、憑きものの帰るべき場所、憑くべきものを指し示して移動させる、それはとてもアジア的なシャーマン、呪術師たちが為してきた治療の術でもあった。悪霊の移るものとして、多く豚が選ばれてきたと思われる。ユダヤ教、イスラム教の「豚肉を食べることの禁止」は、再び悪霊に憑かれることを恐れた、遠い先祖たちの記憶から来ていると思われる。

 世の「おおぜい、みんな」から加害者のレッテルを貼られ、名を失った被害者、レギオンたちは現代社会の中で、ネットの中で匿名という「顔なし」になったり、番号だけで呼ばれる獄屋や、家の中の一室で時間を止めたまま居る。薬漬けの病院や○▽×施設の中に隔離されていることも多い。
 主、イエスよ。今こそ来たりませ。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です