20190203東淀川教会 列王下1:15-17マルコ3:20-27 司式・牧仕 金田恆孝

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旧約聖書kings2 列王記下1章15-17節
15 その時、主の使はエリヤに言った、「彼と共に下りなさい。彼を恐れてはならない」。そこでエリヤは立って、彼と共に下り、王のもとへ行って、

16 王に言った、「主はこう仰せられます、『あなたはエクロンの神バアル・ゼブブに尋ねようと使者をつかわしたが、それはイスラエルに、その言葉を求むべき神がないためであるか。それゆえあなたは、登った寝台から降りることなく、必ず死ぬであろう』」。

17 彼はエリヤが言った主の言葉のとおりに死んだが、彼に子がなかったので、その兄弟ヨラムが彼に代って王となった。これはユダの王ヨシャパテの子ヨラムの第二年である。

新約聖書Markマルコ福音書3章21-27節
3:20  群衆がまた集まってきたので、一同は食事をする暇もないほどであった。
3:21 身内の者たちはこの事を聞いて、イエスを取押えに出てきた。気が狂ったと思ったからである。
3:22  また、エルサレムから下ってきた律法学者たちも、「彼はベルゼブルにとりつかれている」と言い、「悪霊どものかしらによって、悪霊どもを追い出しているのだ」とも言った。
3:23 そこでイエスは彼らを呼び寄せ、譬をもって言われた、「どうして、サタンがサタンを追い出すことができようか。
3:24 もし国が内部で分れ争うなら、その国は立ち行かない。
3:25  また、もし家が内わで分れ争うなら、その家は立ち行かないであろう。
3:26 もしサタンが内部で対立し分争するなら、彼は立ち行けず、滅んでしまう。
3:27 だれでも、まず強い人を縛りあげなければ、その人の家に押し入って家財を奪い取ることはできない。縛ってからはじめて、その家を略奪することができる。

聖書から聴く  主題「現代のベルゼブル・悪魔」
「列王記下」第1章ではバアル・ゼブブという名であらわれる。北イスラエル王国のアハズヤ王(BC850~)は部屋の欄干から落ちて重傷を負った時、エクロン(ペリシテ人の領土の北方にあった都市)で祀られていたバアル・ゼブブに自分の怪我の回復についての神託を求めた。しかしこれはヘブライ人の神ヤハウェを蔑ろにすることであり、預言者エリヤはアハズヤ王に、回復することなく死ぬだろうと告げ、その予言通りアハズヤ王は死んだという。異国の神であり、魔力を持つ神ゆえに貢ぎ物や魂を売れば体は治してもらえる、という信仰があったらしい。現代的に解釈すれば、危険な新薬だが、ガンが治ることもある、みたいな感覚だったのだろう。体が滅びるかもしれないという恐怖故に魔力に頼ったため、エリアに死を宣告された。
イエスの時代、イエスの周りに「汚れ人・もと犯罪者・ならず者等々」が集まった。イエスや集まった人々に対して「ベルゼブル・悪霊の頭」に操られている、という噂、評判が広げられた。イエスの癒やしの業も悪霊の魔力によるものだというのだ。
それに対し、悪霊が悪霊を追い出すのは、悪霊側の矛盾ではないか!」と攻撃側を喝破する。率直に読めば、「救いの神のわざを攻撃する側こそ悪霊に従う者たちではないか」ということになる。
この魔力・ベルゼブルの伝承はキリスト教世界でも口伝で伝えられ、16世紀半ばにフランスの地方都市でニコールという少女に乗り移り、痙攣・奇行・空中浮遊・多重人格現象などを繰り返し、出会う人々の秘密をすべて言い当てた、との記録が残されている。
いわば、その社会にとって危険な、怪しい、理解不能なものをサタンとかルシファとかベルゼブルと名付けて折伏し、排除、隔離し、ていくことがカトリック教会に求められていたわけである。
悪霊たちが“非科学的”と排除されていくなかで、世界大戦前後から「アカ」という言葉が悪霊に代わって猛威を振るった。今より後は、「ショーガイ」なのだろうか。「テロリスト」なのだろうか。それとも神を名のるファシズムなのだろうか。

○先週の出来事(気になるニュース)
野田市の栗原心愛さん死亡事件で、本人が学校に父親からの虐待を訴えたアンケートを、父親の要求に屈し、本人からの同意書を父親に要求し、父親が持参した“同意書”によって父親にアンケート内容を渡した、とのこと。いかにも公務員の業務的問題処理方法だが、それが心愛さん自身への裏切りであることになぜ気づけなかったのだろうか。

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