2020年7月26日 東淀川教会 礼拝 雅歌2章15節エゼキエル書第13章1~4節ルカによる福音書13章31~32節 宣教題「おばかなきつねさんじゃね」

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雅歌2章15節
15 われわれのためにきつねを捕えよ、ぶどう園を荒す小ぎつねを捕えよ、われわれのぶどう園は花盛りだから」と。

エゼキエル書13章1~4節
1 主の言葉がわたしに臨んだ、2 「人の子よ、イスラエルの預言者たちに向かって預言せよ。すなわち自分の心のままに預言する人々に向かって、預言して言え、『あなたがたは主の言葉を聞け』。3 主なる神はこう言われる、なにも見ないで、自分の霊に従う愚かな預言者たちはわざわいだ。4 イスラエルよ、あなたの預言者たちは、荒れ跡にいるきつねのようだ。

ルカによる福音書13章31~32節
13:31
ちょうどその時、あるパリサイ人たちが、イエスに近寄ってきて言った、「ここから出て行きなさい。ヘロデがあなたを殺そうとしています」。13:32そこで彼らに言われた、「あのきつねのところへ行ってこう言え、『見よ、わたしはきょうもあすも悪霊を追い出し、また、病気をいやし、そして三日目にわざを終えるであろう。
13:33しかし、きょうもあすも、またその次の日も、わたしは進んで行かねばならない。預言者がエルサレム以外の地で死ぬことは、あり得ないからである』。

宣教題「おばかなきつねさんじゃね」

 ヘロデ・アンティパスは紀元前4年の大王の死から紀元後39年まで、ガリラヤ地方とペレア地方を統治した傀儡政権の王。彼を批判していたバプテスマのヨハネを殺害した王でもある。ファリサイ派とヘロデ派がそれぞれにイエス殺害を組織決定し、協力して成し遂げることを両組織間で約束していた(パリサイ人たちは出て行って、すぐにヘロデ党の者たちと、なんとかしてイエス(たち)を殺そうと相談しはじめた。マルコ36節)。ローマも含め三つ巴の謀略の中でイエスたちはエルサレムに向かった。王や国家にとってイエスたちの神の国の宣教は同時に地上の国家への否定と映った。「雛が自分の道を歩む」ことを邪魔する巨大な力に抗して、民族を超え、剣を鋤に変える=非戦の誓いを共有し、神に生かされ救われたと信じる一人一人が自分の意思で集まり、それぞれ自分の道を歩むという「神の国」の始まりをイエスは信じ語り続けた。当時のイスラエルはアメリカの傘の下で独立国の体裁を保つ日本と同様と思われる。

 新たに発見された「ユダ福音書」は人間が神の知に至る道(仏教で言えば完全な解脱に至る道)を説くグノーシス主義から書かれたもの。イエスたちの神の国運動に新たな光を当てるものとは言いがたいが、イエスについては一つの光を当てていると思われる。

 第一章 イエスは地上に現れてから人間の救いのために神のしるしと大いなる奇跡を行なった。一方で義の道を歩む者がおり、一方でそむきの道を歩む者がいるなかで、12名の仲間を集め、世について、最後に起こるであろうことについて語り始めた。イエスはこの12名に神の子としての自分のことを語らず、人の子として語った。12名の中にいるイエスと出会った人々はそこに「子どものようなイエス」を見ていた。

 ある日、ユダヤでこの12名が断食をし、しかめっ面をしながら一堂にきちんと座し、感謝の祈りをおごそかに捧げているのを見て笑った。12名の仲間は怒って「なぜ我らの感謝の祈りを笑うのですか。我らは正しいことをしているのを笑い飛ばすのですか」と言うとイエスは「まじめくさった顔しているけど、あなたがた一人ひとりが親なる神の前で、子として自分の意思でそれらを行なっているのではないよね。神さまはこれらの儀式によって、人間から讃美を受けなければ怒り出すような神さまじゃあないんだよねえ。(意訳)

 イエス像として浮かんでくるのは、子どもとして振る舞い子どもにもわかる易しいことばで神の国を語り続けたこと。そして人々の愚かさに対して「怒るイエス」像ではなく、笑い飛ばすイエス像が浮かんでくるのです。

 

先週の出来事
コロナウィルスの正体は未だに不明なまま。重症化、死亡のリスクについて大きく二つの意見がある。日本の重症化(サイトカインストーム)、死者数は欧米の1%以下。日本では現在結核による死者数の方が上回る。BCG接種もあり、抗体免疫以前の自然免疫が強い様子。児童や若者の重症化はほとんどないから感染を恐れるな、との意見。一方では安全とは言い切れないから最大限の防衛をすべきとの意見。悲しいのは、「それぞれが自己責任で判断しましょう」の考え方自体が、懲罰はないにせよ、ほとんど許されない雰囲気になってしまっていることなのだ。

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