20201115 東淀川教会礼拝宣教要旨「読者は悟れ」とは

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20201115 聖日礼拝 ダニエル書9章 マタイ福音書24章 マルコ福音書13章 
宣教要旨「…読者よ悟れ…」とは

ダニエル書9章25-27節 (天使ガブリエルがダニエルに幻で示した啓示)
25 あなたはこれを知って、悟れ。/エルサレムを復興し再建せよとの言葉が/出されてから/油注がれた君が来られるまでが七週。/また六十二週たつと、その苦しみの時代に/広場と堀は再建される。
26 六十二週の後、油注がれた者は絶たれ/彼には何も残らない。/都と聖所を次の君主の民が破壊する。/その終わりに洪水があり/戦いの終わりまで、荒廃が定められている。
27 一週の間、彼は多くの人々と契約を固め/半週の間、いけにえと供え物を廃止する。/憎むべきものの翼の上に/荒廃をもたらすものが座し/ついに、定められた破滅が/荒廃をもたらすものの上に注がれる。」

マタイ福音書24章
15「預言者ダニエルの語った荒廃をもたらす憎むべきものが、聖なる場所に立つのを見たら――読者は悟れ――、
16 その時、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。

21節その時には、世の初めから今までなく、今後も決してないほどの大きな苦難が来るからである。

マルコ福音書13章14−20節 
14「荒廃をもたらす憎むべきものが、立ってはならない所に立つのを見たら――読者は悟れ――、その時、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。
15 屋上にいる者は下に降りてはならない。家にある物を取り出そうとして中に入ってはならない。
16 畑にいる者は、上着を取りに戻ってはならない。
17 それらの日には、身重の女と乳飲み子を持つ女に災いがある。
18 このことが冬に起こらないように、祈りなさい。
19 それらの日には、神が天地を造られた創造の初めから今までなく、今後も決してないほどの苦難が来るからである。
20 主がその期間を縮めてくださらなければ、誰一人救われない。しかし、主はご自分のものとして選ばれた人たちのために、その期間を縮めてくださったのである。

  宣教題「…読者は悟れ…」

 エルサレムの国が滅亡することのメッセージをダニエルは天使ガブリエルから受け取り、比喩として書き記す。「あなたはこれを知って、悟れ」と。国も神殿もまもなく滅びるだろうが、死守しなければならないものはない。バラバラになろうと奴隷になろうとともかく生き延びよ。神の民である私たちは元々遊牧民である、と。
「苦しみの時代に/広場と堀は再建される」人々を集める広場と人と人とを分ける堀、死者を埋める堀が作られる…油注がれた者、預言者、知識人は断たれる…
 マルコ福音書「荒廃をもたらす憎むべきものが、立ってはならない所に立つのを見たら――読者は悟れ――」、マタイ福音書「預言者ダニエルの語った荒廃をもたらす憎むべきものが、聖なる場所に立つのを見たら――読者は悟れ――」も、同じ主旨だろう。表だっては言えないし書くこともできないが(反乱罪でしょっぴかれる、殺される可能性あり)、「そのことが起こったら」死守しなければならない国も神殿もないんだから、ひたすら山に逃げなさい、逃れなさい、ということだろう。後ろを振り返ったために塩の柱となってしまったロトの妻を想起する内容が続く。“上着を取りに戻るな” “身重な女、乳飲み子を持つ女はたいへんだ” “冬だったらたいへんだ” 必死に守り合って逃れよ!と。
 それまで住んでいたところの風習や文化も、法律も、貨幣も、財産も、築き上げた信用も、もちろん警察も、役人も、何もあなたや家族や友人を守らなくなる時が来る。「その時」はあなたが見極めなければならない、というのが「—読者は、悟れ—」の意味だろう。

 弥生時代以後、この鎖国状態に近い八島に住んできた人々の多くは、“世の中はそう簡単には変わらないし変わるべきではない”との感覚が強く、「その時」を自分で判断する習慣は、私自身を含めて持っていないと感じられる。
 日本の、空調の効いた、水洗トイレのある、コンビニにものがある現代のこの環境でテレビやネットを通じて世界の情報に触れていても、世界の現実や実感とはかなり懸け隔たっているのだと思う。

 中国や北朝鮮の独裁体制も不気味だが、香港の民主化運動に対する圧倒的な排除もまた、なにか恐ろしいものが身近に迫っているとも感じられる。コロナ騒動もまた然り。多くの人々がマスクをしている姿も不気味である。この国の、琉球列島に増設されつつある防衛体制も不気味である。原子炉建設を進めるエネルギー計画も不気味である。種苗法の改変により農家の自家増殖、自家採種が原則禁止となった。不気味である。学術会議に対する国の介入も不気味である。不気味に感じる事柄は一人ひとり異なると思われるが、「その時」をどう感じ、判断するか、一人ひとりに問われていると思われます。

先週の出来事

IR(Integrated Resort)カジノを中心としたリゾート施設や万博開催による経済波及効果を見込んでいた、これまでの大阪都構想がポシャってほっとした人も多い。かつての“日本列島改造論=道路建設、土木工事 建設工事で経済効果は高まる”論と、“大都市構造を変えれば経済効果が高まる”論は似ている。選挙はほぼ半々の接近戦、米国大統領選もほぼ半々の接近戦。どちらに振れるかわからない、近未来がどうなるかわからない、国の煽動やマスゴミの心理操作に乗るか乗せられないか、一人ひとりも揺れているシーソー状態というのが、今の私たちの姿そのものなのかもしれない。

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