20210620 礼拝宣教要旨「難民の神」宣教担当 金田恆孝

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本日の聖書箇所(聖書協会共同訳) 
イザヤ書5章7節
主は公正(ミシュパト)を待ち望んだのに そこには、流血(ミスパハ)。正義(ツェダカ)を待ち望んだのに そこには、叫び(ツェアカ)。
エレミヤ書 22章 3節
主はこう言われる。公正と正義を行い、搾取されている者を虐げる者の手から救いなさい。寄留者、孤児、寡婦を抑圧したり虐待したりしてはならない。また無実の人の血をこの場所で流してはならない。
エゼキエル書18章 21節
しかし、悪しき者が自分の犯したすべての罪から立ち帰り、私のすべての掟を守り、公正と正義を行うなら、必ず生きる。死ぬことはない。
イザヤ書/ 52章 12節
急いで出なくてもよい。/逃げるようにして行かなくてもよい。/主があなたがたの前を行き/イスラエルの神がしんがりとなるからだ。
マタイ福音書 25章 35-36節
あなたがたは、私が飢えていたときに食べさせ、喉が渇いていたときに飲ませ、よそ者であったときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに世話をし、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。
25章 40節
そこで、王は答える。『よく言っておく。この最も小さな者の一人にしたのは、すなわち、私にしたのである。』
25章 45節
そこで、王は答える。『よく言っておく。この最も小さな者の一人にしなかったのは、すなわち、私にしなかったのである。』

宣教タイトル「難民の神」

 北イスラエル王国が滅んだ後、南ユダ王国国家の民として「ユダヤ人」と呼ばれることはあったが、自分たちの信仰が「ユダヤ教」という意識はまずなかったと思われる。今日的な言い方で言えば、イスラエルの民の、「イスラエル教」というのが正しいことになるのだろう。

 難民としてメソポタミアを出発したアブラハム、イサク、ヤコブ…モーゼが導いた出エジプト、放浪とカナン侵略、亡国、そして流民・ディアスポラとなったイスラエルの歴史はその始まりからずっと“難民史”だった。

カナン侵略後の部族連合体から、やがて王を立て(神(主)に導かれるよりも強い王に導かれることを願った)、国家を作って以後、預言者たちはイスラエル(神とともに歩む民)から「公正」と「正義」が失われたことを叫び続けた。イザヤ書5章7節の「主は公正(ミシュパト)を待ち望んだのに そこには、流血(ミスパハ)。正義(ツェダカ)を待ち望んだのに そこには、叫び(ツェアカ)」というのは預言者たちの共通の認識であったと思われる。

 ミシュパト(公正)は旧約聖書の中で400回以上も登場する重要な言葉で、「裁き」とも訳されるが、今日的な言い方で言えば「神の公正・被造物や人間と神との調和・秩序」であり、具体的には「助け合い生かし合う道理」のような意味合いと思われる。公正(ミシュパト)と、十戒を中心とする正義(ツェダカ・ツェデク)(270回以上登場)は律法を貫く柱であり、公正と正義が失われた時代に、イザヤが告げたのは、高い天や強い王とともにいる「神」ではなく、世が作り出す強者・弱者の序列の最後尾、どん底にいて “しんがり”をこそ守る神、しんがりからミシュパトを回復される神というメッセージだったと思うのです。
 カナン侵略後に作られたのは“逃れの町”であった(民数記35:24)。「殺すな」の十戒のため、復讐の連鎖・流血を止める手段でもあった。「いかなる寡婦も孤児も苦しめてはならない。」(出エジプト記22:21も、「葡萄を摘み取るとき、後で積み残しを集めてはならない。それは寄留者、孤児、そして寡婦のものである」(申命記24:21)も、難民、貧しい者の別表現であり、公正を回復するためのメッセージだったと思われる。



 イエスはそれを子どもにもわかる言葉で語ったと思われる。「神さまに作られた人間が善悪を知る木、価値判断の実を食べて、勝手に価値を決めるようになってね。更に国を作って、国の王が作ったお金がなければ水も食べ物も着るものも得られなくなってね。病気を癒すベッドもなく、邪魔になったら隔離されてしまう。神さまはお金なんか作らなかったのに、金持ちと貧乏人、より守られる人とより守られない人とのピラミッド、序列ができてしもうた。神さまはお金や国や地位がない人(貧しい人 難民)とともにしんがりにおられ、しんがりが苦しむことは、ミシュパト(公正・神さまとの調和)が失われていることであり、調和を回復するためにしんがりを守っている神さまを苦しめてることなんや」みたいな話をしたと思うのです。


犬飼道子氏。「難民」の視点から聖書を捉え直し、多数の聖書解釈の本とともに世に出た「人間の大地」は日本の若者の、南北問題、難民問題のバイブルとなった。私も聖書について多くの示唆を与えられました。「世界の裕福な3割の人々(先進諸国)が世界の7割の食べ物を買い占め、工場で作られ売買される製品の9割を買い占めて、お金がなければ手に入らないようにしている。貧しい7割の人々(後進諸国)は、3割の食料と1割の製品で生活を成り立たせなきゃならない。これは正義(ツェダカ)ですか? 公正(ミシュパト)ですか?と本の中から読者に問いかけた。聖書におけるこの言葉の重さを犬養道子氏から学んだ。


 世に衝撃を与えた「南北問題」。これをもとに学習会を行った教会も多かったが、「南北問題」について、“科学的ではない”とまともに取り合おうとしなかった学者たちや政治家たちが多かった。それは有吉佐和子の「複合汚染」に対しても、水俣病を告発する人々に対しても浴びせられた決まり文句だった。『科学的に、と言うのはファシストの常套句。人生は科学ではない。』とは高木俊介氏(病んでいる人を精神病院に収容することを「治療」とする考え方を批判している精神科医)の名セリフ。

 第二次世界大戦中、リトアニアの日本国総領事館に赴任していた杉原千畝。ナチス・ドイツの迫害によりポーランドなど欧州各地から逃れてきた難民たちの窮状に直面し、外務省からの訓令に反して1940年に6千枚以上のビザ(通過査証)をばらまいた。アフガニスタンで銃殺された中村哲医師もまたイエスの弟子と感じる。かような有名人ではなくとも、身近な“難民”のために心を砕き支えようとする目立たない人々はまだまだ多いと信じる。


 貧富の格差はますます広がり戦争や迫害で難民となっている人は世界中で推定で八千万人を超え過去最高となり、コロナ禍の中で締め出しが激しくなっている。私たちの周りにいる「難民」は、ネット情報社会の中でますます隠され目立たなくなっていると感じる。

主イエスとともに神の国を仰ぎ求め、御心に叶う道を祈り求めたい。

先週の出来事 

安倍晋三前首相の強い指導力で実現した台湾への英アストラゼネカ(AZ)製のワクチン寄贈で15日から高齢者を中心にAZ製の接種が始まったが、18日までの4日間で優先接種を受けた高齢者42人が死亡とのこと。もらった人が悪かったのか?と現地で混乱が起きている様子。いやはや。

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