20211024 Sunday Service 宣教題    「 奴隷の鎖を逃れるために」担当 金田恆孝

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本日の聖書箇所(聖書協会共同訳)
申命記19章 15-20節
どのような過ちや罪であれ、人が犯した罪は一人の証人によって確定されることはない。人が犯したどのような罪も、二人または三人の証人の証言によって確定されなければならない。悪意のある証人が立ち、相手に対して不利な証言をするならば、争っている二人は主の前に進み、その時、任に就いている祭司と裁き人の前に立ちなさい。裁き人は子細に調査し、その証人が偽りの証人であり、同胞に対して偽証したのであれば、その者が同胞にたくらんだことを彼に行って、あなたの中から悪を取り除きなさい。他の者たちはこれを聞いて恐れ、あなたの中でこうした悪事が二度と繰り返されることはないであろう。

マタイによる福音書16章 19節
私はあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上で結ぶことは天でも結ばれ、地上で解くことは天でも解かれる。
マタイによる福音書18章 10-16節
「これらの小さな者を一人でも軽んじないように気をつけなさい。言っておくが、彼らの天使たちは天にあっていつも、天におられる私の父の御顔を仰いでいるのである。✝
人の子は、失われたものを救うために来たのである。
あなたがたはどう思うか。ある人が羊を百匹持っていて、その一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残して、迷い出た一匹を捜しに行かないだろうか。よく言っておくが、もし、それを見つけたら、迷わずにいた九十九匹より、その一匹のことを喜ぶだろう。そのように、これらの小さな者が一人でも失われることは、天におられるあなたがたの父の御心ではない。」「きょうだいがあなたに対して罪を犯したなら、行って二人だけのところでとがめなさい。言うことを聞き入れたら、きょうだいを得たことになる。聞き入れなければ、ほかに一人か二人、一緒に連れて行きなさい。すべてのことが、二人または三人の人の証言によって確定されるようになるためである。

宣教の要旨「奴隷の鎖を逃れるために」
 マタイによる福音書16章19節「私はあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上で結ぶことは天でも結ばれ、地上で解くことは天でも解かれる。」とは、言い替えれば、“キリスト教徒こそが(だけが)天国に繋がり、天国の内容を作ることができる”と語っているように感じます。これはイエスの処刑後30年以上も後になって書かれたもので、著者マタイが関係する「キリスト教会」に人々を招くための“教会の希望”、“教会の神学”を表現したものと思われます。
 旧約聖書の出エジプト記は、衣食住やお金と引き換えにエジプトの王の奴隷状態にあったイスラエル人の解放の物語です。お金や食べ物や安全な生活よりも、たとえ貧しくとも「神の子」としての尊厳と、神とともに歩む民(イスラエル)であることを取り戻そう、取り戻させようとした再出発だと思います。

 飢饉や災害で借金してお金の奴隷になることもあります。戦争で負けた兵士が敵の奴隷となることもよくありました。窃盗や傷害などの罪で有罪になると、懲役、服役という奴隷状態で、鎖に縛られながら何年もかけて働き、被害の弁済、賠償をする場合もあります。
 納得の上で一定期間、お金の奴隷状態になることはあるでしょうが、悪意によって罠にハマり、有罪とされ、奴隷状態に陥ることもいっぱいあったと思います。
 申命記19章は、悪意や偽証によって不当な奴隷状態に陥らないよう、判決が出る前に、仲間たちが証言し、事実を明らかにし、守りあう道を示しています。

 イエスの語ったであろう「結ぶ」「繋ぐ」「解く」などの言葉は、ヘレニズム、ギリシャ文化の影響を受けた観念的、抽象的なことではなく、目の前にある具体的なこと、人を奴隷として縛る鎖、紐、縄を表していると思われます。
 お金持ちや社会的な身分の高い人や、強い味方に守られている人は、お金や人の奴隷になりにくいのですが、家柄も身分もお金もない、社会的に弱い立場の人ほど、騙されたり、借金や、罠にハマって奴隷状態に陥ったりしやすいものです。現代風に言えば、“弱い立場の者や正直者ほど馬鹿を見る”ってことは、私たちの身の回りにいっぱいあります。「神は、99匹の普通の羊ではなく、そこから迷い出した、はみ出た、はみ出された、群れについていけない一匹をこそ支えられる。そのために私(イエス)は用いられている、というメッセージ。

「自分で自分を護るしか方法がない隣人が不当に訴えられそうになったら、隣人や友が証言し、代弁し、罪人とされないよう、忠告し、助言し、孤立して絶望したり自暴自棄にならないよう励まし、守り合い、祈り合おうではないか」と言うのが、イエスの言葉だったと思うのです。

先週の出来事

民主主義って、動物でも持っている個々の思想(思い計らい)を個々人が優先する、できる、それを認め合う考え方だろうと思うのです。今回は「既成の体制依存・利権防衛勢力・全体主義」VS「一人ひとりの思想優先(民主主義)」の選挙、民主主義を建前ではなく実質化しなければヤバいと感じるのです。今回は特に、「選挙に行かなければならない」と感じるのです。自分の思想を表現できない中国や香港、北朝鮮、ミャンマーなど、抗議の声すらかき消されている国々の現実が隣にあり、諦めの不参加は許されない気がするのです。

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