20211031 Sunday Service 宣教題「選民思想の過ち」担当 金田恆孝

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本日の聖書箇所(聖書協会共同訳)
イザヤ書8章 23節
しかし、抑圧された地から闇は消える。先に、ゼブルンの地とナフタリの地は辱められたが 後には、海沿いの道、ヨルダン川の向こう 異邦人のガリラヤに栄光が与えられる。
ルカによる福音書9章 53節
しかし、サマリア人はイエスを歓迎しなかった。イエスがエルサレムに向かって進んでおられたからである。
ルカによる福音書10章 29-37節
しかし、彼は自分を正当化しようとして、「では、私の隣人とは誰ですか」と言った。イエスはお答えになった。「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追い剝ぎに襲われた。追い剝ぎたちはその人の服を剝ぎ取り、殴りつけ、瀕死の状態にして逃げ去った。ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、反対側を通って行った。同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、反対側を通って行った。
ところが、旅をしていたあるサマリア人は、その場所に来ると、その人を見て気の毒に思い、近寄って傷にオリーブ油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分の家畜に乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』この三人の中で、誰が追い剝ぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」律法の専門家は言った。「その人に憐れみをかけた人です。」イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」
ヨハネによる福音書4章6-9節
そこにはヤコブの井戸があった。イエスは旅に疲れて、そのまま井戸のそばに座っておられた。正午ごろのことである。
サマリアの女が水を汲みに来た。イエスは、「水を飲ませてください」と言われた。弟子たちは食べ物を買うために町に行っていた。すると、サマリアの女は、「ユダヤ人のあなたがサマリアの女の私に、どうして水を飲ませてほしいと頼むのですか」と言った。ユダヤ人はサマリア人とは交際していなかったからである。
ヨハネによる福音書4章 21節
イエスは言われた。「女よ、私を信じなさい。あなたがたが、この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。

※サマリア 北イスラエル王国の首都 アッシリアに滅ぼされアッシリアからの移住政策で混血化。南ユダ王国のバビロン捕囚、帰還後サマリア人は神殿再建協力を申し出たがユダヤ人たちがこれを断った。サマリア人はゲジリム山に神殿を設け、モーセ5書のみを聖典として信仰を継承した。イエスの時代、サマリア人は穢れの民とみなされていた。

宣教の要旨「選民思想の過ち」ー選民思想は賤民を生み出すー
 イザヤの時代、ガリラヤはすでに異邦人(よそ者)の地と呼ばれていた。よそ者の地で生まれたイエスの時代、滅んだ10部族の首都だった北のサマリアは南ユダ王国からは「近親憎悪」の対象であり、混血、神殿や儀礼の混淆を理由に穢れの民と看做されていた。イエスたちの宣教活動は「隣人」サマリアにも及んだ。“良きサマリア人”の側から、祭司やレビ人で構成される南ユダ国、エルサレム神殿の側(ユダヤ教)をイエスは批判していた。イエスはユダヤ教徒だった、という言い方はあるが、むしろ「イスラエル教徒」と表現する方が正しいと感じている。
 ヨハネ福音書が描く、サマリアの女に一杯の水を求めるイエスは、貧しいやもめの家に派遣された預言者エリアの姿であり、“この山(ゲジリム山)でもエルサレム神殿でもないところで(どこでも)(万物の主、いのちの主なる)神を礼拝するときが来る”というイエスのメッセージは、“セクト宗教からの解放”を書き記していると読める。

 サマリア人に愛されたイエスが、自らの死を予告しながら、エルサレムに向かって行ってしまう。サマリア人の悲しみ、裏切られたような思いがあったのではないか、と想像します。

 自分たちこそ神に選ばれた民、という「選民思想」に基づく他の民族への差別化、奴隷化、排除の歴史は近代・現代も続いている。ナチスによるホロコースト(民族浄化)と現代の優生思想とは地続きである。
 明治政府は西欧の「形質人類学」を輸入し、アジアにおける日本人の優秀さを証明しようとする(研究)目的で、明治から昭和にかけて琉球人(沖縄北部今帰仁村“ナキジン”から26体)やアイヌ人(カイの国、もしくはアイヌモシリの各地から数千体)の人骨盗掘が東京大学、京都大学、その他の帝国大学によって繰り返されたという。諸論文には“文化民族(日本人)と自然民族(土人)の比較研究”等の文字がある。「土人」は「地の民・アムハーレツ」と同義である。北海道各地のアイヌ協会が遺骨の返還を求めたが対応しなかった和人・シャモの国だったが、2007年、国連で「先住民族の権利宣言」が採択され、遺骨の返還は少しずつ始まるも、未だ人骨とアイヌのこころを「盗んだ」ことに対する謝罪はないようです。「学術研究のためにお借りしただけ」の対応が、いまもカイの国、アイヌモシリのこころを盗み続けているのは確かです。

 1903年(明治36年)大阪博覧会学術人類館(天王寺)で「人種の陳列」が行われ、並べられたのはアイヌ人、琉球人、台湾高砂族、朝鮮人、清国人、インド人、ベンガル人、トルコ人、アフリカ人。西欧列強の植民地政策の模 倣と、その後の大東亜共栄圏構想につながる日本人の優秀さ、選民思想を内外に示す目的でした。諸外国の抗議でしばらくして取りやめましたが、こころからの謝罪、悔い改めはなされておらず、和人、ヤマトンチュの選民思想は息を潜めてはいますが、いまだに健在なのだとおもいます。

 イエスは民族や人種や宗教を用いた“選民思想”や“優劣ランク分け”“賤民を作り出す棄民政策”などを、全ての人=「神の子」に対する罪として、最後尾=しんがりから告発し続け、復活したイエス(たち)はガリラヤから新たな旅を続けながら告発し、まことの悔い改めを求めている、それが聖書の、イエスからのメッセージとおもうのです。

  先週の出来事
米FDA ファイザーのワクチン 接種可能年齢を5~11歳に拡大とのニュース。子どもの重症化・死亡リスクが高いわけでもないのに、判断が困難な子どもへの接種を製薬会社が「風潮」をリードすること自体が大問題と思う。

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