20220807 東淀川教会宣教要旨「統べよ=育てよ」創世記1:19−26 ルカ福音書12章13章

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2022年8月7日 週報№2775
聖霊降臨節 第10主日礼拝 
本日は広島の原爆、長崎の原爆など、人間が作り出した壊滅的な兵器により焼き滅ぼされた方々と生き延びた方々の無念さ、言葉にならぬ思いを創造しながら一分間の黙祷から礼拝を始めさせていただきます。(黙祷)


本日の聖書箇所

創世記1章 19〜26節

夕べがあり、朝があった。第四の日である。
神は言われた。「水は群がる生き物で満ち溢れ、鳥は地の上、天の大空を飛べ。」
神は大きな海の怪獣を創造された。水に群がりうごめくあらゆる生き物をそれぞれの種類に従って、また、翼のあるあらゆる鳥をそれぞれの種類に従って創造された。神は見て良しとされた。
神はそれらを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、海の水に満ちよ。鳥は地に増えよ。」
夕べがあり、朝があった。第五の日である。
神は言われた。「地は生き物をそれぞれの種類に従って、家畜、這うもの、地の獣をそれぞれの種類に従って生み出せ。」そのようになった。
神は地の獣をそれぞれの種類に従って、家畜をそれぞれの種類に従って、地を這うあらゆるものをそれぞれの種類に従って造られた。神は見て良しとされた。
神は言われた。「我々のかたちに、我々の姿に人を造ろう。そして、海の魚、空の鳥、家畜、地のあらゆるもの、地を這うあらゆるものを治めさせよう。」


ルカによる福音書12章 24〜25節


烏のことを考えてみなさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、納屋も倉も持たない。だが、神は烏を養ってくださる。まして、あなたがたは、鳥よりもどれほど優れた者であることか。あなたがたのうちの誰が、思い煩ったからといって、寿命を僅かでも延ばすことができようか。


ルカによる福音書 13章 18〜19節


そこで、イエスは言われた。「神の国は何に似ているか。何にたとえようか。
それは、からし種に似ている。人がこれを取って庭に蒔くと、成長して木になり、その枝には空の鳥が巣を作る。」


宣教の要旨「統べよ・育め」


天地創造で神は上の碧・Blue・空と、下の青・Blue・海とを分け、他の動物たちに先がけて、先ず青の中を自由に飛び回り泳ぎ回る生き物を先に造り、祝福された、という記事は、困難を伴いながらも自由に移動し続けてきたイスラエル民族の、移動の民、遊牧の民としての特質、アイデンティティをそこに重ねていると感じられます。日を改めて地上の動物や虫や生き物を創造したというのですから、鳥、魚たちは特別だったはずです。

聖書にはカラス(烏/鴉)も鳥も両方でてきます。鴉を汚れた動物と規定する箇所もありますが、ノアの箱舟でも活躍し、預言者エリアを養う動物としても登場します。福音書ではイエスの言葉として「空のカラスを見よ」としているのはルカ福音書であり、マタイ、マルコ福音書の「空の鳥(とり)を見よ」の強い印象があるため、字も似ているため、つい、すべて「空のとりを見よ」と理解してしまう思い込みがあります。が、イエスがあえてとりの中の、嫌われものになりやすい「カラス」を取り上げて話をされたのなら、そこに込められているメーセージを改めて考える必要を感じるのです。日本の童謡に出てくる「カラス」には、とても優しい視点を感じます。

 イエスの、空の烏を養う神の話も、魚を大量に発生させる話も、神がそれらを養っている、という視点であり、人間以外の生命に対して傲慢になりがちな人間への厳しい批判がそこに含まれていると感じられます。



人間の蒔くからし種が成長して木となり、枝に烏が巣を作るとは、人の営みが、動食物たちを食料としていただくと同時に、動食物たちをも育む共存共栄関係を神の国として描いていると思われます。



 最後に造られた人間に対する「統べよ」とは、「育め、ともに共存共栄関漢卿を築け」の意味だと思うのです。

 北海道では明治十年頃全道でバッタの大群が発生し、農作物は壊滅的な被害を受けたようです。その時、バッタを焼き尽くすのではなく、あちこちで埋めて塚を設けて弔ったバッタ塚が残っています。蝗虫(こうちゅう)の突然変異を伴う大量発生は世界各地で見られますが、わざわざ塚を設けて弔ったのは(弔ったのでなければ、食べるか、焼き捨てるか、穴を掘って埋めたら済む話です)、人の都合だけで自然を開拓したために荒ぶる霊たちを畏れ、鎮めるための弔いだったと思われます。どのような弔い方をしたのかの記録はあまり残っていませんが、日本各地にもそのような弔った形跡のある虫塚が残っているとのことです。


「もののけ姫」のはじめに登場する猪の祟り神・荒ぶる乙事主(おっことぬし)に対する女祭司の祈りことば「何処よりいまし荒ぶる神とは存ぜぬも かしこみかしこみ申す。この地に塚を築きあなたの御霊をお祭り致します。恨みを忘れ鎮まり給え」は、この弔いの祈りをみごとに表現していると感じます。


 コウモリ・鳥インフルエンザ由来のスペイン風邪(48万人の死者)、エボラ出血熱、コロナウィルスも鳥由来と云われています。sarzはハクビシン、AIDSは猿、チンパンジー由来とのこと。ネズミ(げっ歯類)由来の天然痘はスペイン経由でインカ帝国を滅ぼし、日本へは仏教とともに輸入され、東大寺大仏も天然痘を鎮めるためだったとか。

なかなか収束しそうもないコロナウィルスや異常気象による災害のニュースや、銃乱射事件などにふれるたび、“荒ぶる神々(乙事主)”のことを思い出してしまいます。宗教者の果たすべき役割について考え込んでしまいます。

 共存共栄と育む責任を忘れ、自然を破壊し、壊滅的な核兵器を増産し、荒ぶる神(霊)を生み出しているであろう現代社会。バッタ塚、虫塚を築き、弔い、共存共栄を願い、祈りを捧げた人々の心を取り戻したい、と思うのです。

 先週の出来事 
戦後の政治家たちと統一協会との関係が、前総理狙撃事件をきっかけに、わずかですが、隠された歴史の洗い出しが行われています。がその一方で、台湾や周辺有事を煽り、強い軍事国家を目指す動きも高まっています。犯してきた過ちと、数多の死者たちの声を聴きながら、被爆地からのメッセージ「過ちは繰り返しません」の誓いを新たにしたいと願います。

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