東淀川教会20180107礼拝 サム上3:8-11 ヨハネ3:3-5 主題「主の声を聴く望み」司式:金田恆孝

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礼拝worship
前奏prelude~招詞invitation~讃美hymn~主の祈りLord’s Prayer~使徒信条Apostles Creed ~交唱alternately Pray~Bible~讃美hymn~Message~讃美hymn~
聖餐式Holy communion~Thanks hymn~献金 donation~頌栄doxology~祝祷Benediction

2018年聖句
渇いている者には、わたしが命の水の泉から価なしに飲ませよう。黙示21:6
I will give unto him that is athirst of the fountain of the water of life freely.

1月の聖句(招詞invitation)
七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。申命5:14
the seventh day is a sabbath unto Jehovah thy God: in it thou shalt not do any work,

First Samuelサムエル記上3章8-11節
主はまた三度目にサムエルを呼ばれたので、サムエルは起きてエリのもとへ行って言った、「あなた
がお呼びになりました。わたしは、ここにおります」。その時、エリは主がわらべを呼ばれたのであ
ることを悟った。そしてエリはサムエルに言った、「行って寝なさい。もしあなたを呼ばれたら、『
しもべは聞きます。主よ、お話しください』と言いなさい」。サムエルは行って自分の所で寝た。
主はきて立ち、前のように、「サムエルよ、サムエルよ」と呼ばれたので、サムエルは言った、「し
もべは聞きます。お話しください」。その時、主はサムエルに言われた、「見よ、わたしはイスラエ
ルのうちに一つの事をする。それを聞く者はみな、耳が二つとも鳴るであろう。
Johnヨハネ福音書3章3-5節
イエスは答えて言われた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生れなければ、神の国を
見ることはできない」。
ニコデモは言った、「人は年をとってから生れることが、どうしてできますか。もう一度、母の胎に
はいって生れることができましょうか」。
イエスは答えられた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも、水と霊とから生れなければ、神の
国にはいることはできない。

主題要旨(主の声を聴く望み)
預言者であり最後の士師(裁き司)でもあったサムエル。神に用いられることだけを願った一生であ
ったが、政治的な駆け引きに疎く、肉親には疎んじられ、彼自身が報われることのない一生だった。
その彼が少年の頃、神に声をかけられた箇所。
主はきて立ち、前のように、「サムエルよ、サムエルよ」と呼ばれたので、サムエルは言った、「
しもべは聞きます。お話しください。」サムエル記上3章10節

いわゆる“幻聴”と異なるのは、名が呼ばれることだろう。“他の誰でもない。お前に告げる”と
いうことだ。それに対して、主からの声と確信し、“しもべは聴きます。お話しください”と応答す
る。そこでこそ一対一の対話が成立することになる。
幻聴の場合は対話は成立しない。一方的に、時と場もわきまえず勝手に喋ってくる。迷惑この上な
い。「あなたは誰か」の問いかけに応えようともしない厄介な場合が多い。

イエスは答えて言われた「よくよくあなたに言っておく。
だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」。
ヨハネ福音書3章3節
新しく生れるとはどういうことか。何が変わるというのか。
イエスのメッセージはシンプルである。これまでの「生きる
」という姿勢から「生かされる」という根本的な姿勢の180度の転換である。自分を生かそうとして
くださる主に心と体を預け、ひたすら「生かされる」ことに徹しようとする。それが、「新しく生れ
る」ということであろう。

生かされるには、新しく生れるには、何よりも大切なのは、自分自身を生かそうとする“声”を聴
くことである。
「私はここに居ます。主よ、お話しください」との発言が何時どこででも出来るよう心掛けたい

先週の出来事
〇初詣という文化が生れたのは、たかだか明治中期からとのこと。それをさも昔から、という心理操
作がなされたのは、万世一系の天皇というすり込みとセットで行われたらしい。
いかに現代の私たちが明治以降の「心理操作」に誘導されたか、今もされているかを思い知らされる

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