20190217 東淀川教会礼拝 イザヤ書 マルコ福音書 司式・牧仕 金田恆孝 

Pocket

このエントリーをはてなブックマークに追加

旧約聖書 イザヤ書53章1-7節
1 だれがわれわれの聞いたことを信じ得たか。主の腕は、だれにあらわれたか。
2 彼は主の前に若木のように、かわいた土から出る根のように育った。彼にはわれわれの見るべき姿がなく、威厳もなく、われわれの慕うべき美しさもない。
3 彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。また顔をおおって忌みきらわれる者のように、彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった。
4 まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。しかるに、われわれは思った、彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。
5 しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲らしめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。
6 われわれはみな羊のように迷って、おのおの自分の道に向かって行った。主はわれわれすべての者の不義を、彼の上におかれた。
7 彼はしえたげられ、苦しめられたけれども、口を開かなかった。ほふり場にひかれて行く小羊のように、また毛を切る者の前に黙っている羊のように、口を開かなかった。

新約聖書Markマルコ福音書13章9-13節
13:9あなたがたは自分で気をつけていなさい。あなたがたは、わたしのために、衆議所に引きわたされ、会堂で打たれ、長官たちや王たちの前に立たされ、彼らに対してあかしをさせられるであろう。
13:10こうして、福音はまずすべての民に宣べ伝えられねばならない。
13:11そして、人々があなたがたを連れて行って引きわたすとき、何を言おうかと、前もって心配するな。その場合、自分に示されることを語るがよい。語る者はあなたがた自身ではなくて、聖霊である。
13:12また兄弟は兄弟を、父は子を殺すために渡し、子は両親に逆らって立ち、彼らを殺させるであろう。
13:13また、あなたがたはわたしの名のゆえに、すべての人に憎まれるであろう。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。

聖書から聴く  主題「武具は神のことば」

「彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。また顔をおおって忌みきらわれる者のように、彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった。」

その人は正義を主張する人でも、世や人の過ちを告発して「裁く」人ではなかった。何よりもその人は“悲しみの人”だと。
 苦しみや悲しみをその身に分かち受け取り、その身に負い、苦しむ人であった。引き受けた苦しみを自分自身のこととして神に癒やしを求める。
 その人の力、能力を現代の言葉で言い表すならば「受苦能力」ということになるのだろうか。
 働き人が少ないため、イエスが弟子たちをふたりづつ派遣した。何も持たず施しを受けることの他に、彼らの受難を予告している。彼らの言葉そのものが、世を敵に回してしまうのだろう。

自分を守るための用意や武器も一切持っていてはならない。ひたすら神の言葉だけが「武具」となり、自己弁護のための「ことば」も必要としない。何を語るべきかはそのときに聖霊が教えてくれる……って、弟子達も含め、いったいどんな「神の国」の話をしていたのか、今聞きたい。

○先週の出来事(気になるニュース)
安倍首相がトランプ大統領に「ノーベル平和賞に推薦したらしい。 どうやら世界はマンガでできあがっているんだ。いままで気づかなかった。

 

 

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です